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ment-la-ment blog

かに…あわ…あわ…かぷかぷ…あわ…あわ…

コギト命題について考える

ショート・ショート、コラム

初めに言っておきます。コギト命題と書くと哲学を知っているようですが、私はズブの素人です。根本的な間違いがあったらごめんなさい。

Cogito ergo sum「我思う、ゆえに我あり

有名ですね。哲学やってなくともよく聞く言葉です。どういう意味でしょう?

ここで言う我を「人としての我」と捉えると、この命題は出来の悪い三段論法になってしまい崩壊します。
1.思うものは存在する 2.私は今思っている→3.私は存在する

あれれ、待てよ。思うものってそもそも必ず存在することになるんだっけ? となります。

デカルトが言いたかったのは、「人としての我」の証明ではなく、「思うこと」という存在の証明だと思います。全てを疑う哲学の中で、どんな形であれ「思うこと」だけは絶対的な真理として存在すると言いたかったのです。(例え、思考を操作されようが、気が狂っていようが、思うこと自体は存在する)

これは、一見コギト命題を考えている時点で成り立ちそうに感じます。ですが、よくよく考えるとやはり疑問が残ります。
そもそも、本当に「思っている」のでしょうか?
「思うこと」を行ったという自己認識があるだけで、「思うこと」を行ったという事実は不確かです。一瞬前に世界が作られたのかもしれないし、我々は「思う」のではなく、「思ったという認識を保持し続けるだけの存在」かもしれません。

結局の所、この命題は「私がここにいるんだから、私は存在するよ」という意見と大差がなく、私の存在を疑う哲学の中では、同様に不確かなものにしかなり得ないと思うのです。

というわけで、私の見解ではコギト命題は偽(真とは言えない)です。