栗拾い

我が家はちょっと山にあります。

なぜかと言うと土地が安かったからです。

資産価値?

知りません。売らないなら高かろうが安かろうがあまり関係ないです。

 

家は比較的小さいのですが、庭は広いので家庭菜園もしっかりできますし、ミカン、レモン、ユズ、イチジク、桑の実、ブルーベリー、ヤマボウシ…、おいしい木もあります。
山が近いので、探しに行くとアケビとか色々見つかります。

山なので、秋には栗拾いにも行ってました。

別においしくはないです。

実は小さいし、あんまり甘くもない。

でも、こういうのって季節のものって、採って食べるのは、買って食べるとはまた違うワクワク感があります。

私は結構楽しみにしてるんです。

 

ですが、下の子ももう中学生になり、今年はもう誘っても誰も行かなくなりました。

ちょっと寂しいですが、そういうものです。

ですが、こういうのってきっと大人になって、何とはなしにふっと思い出すことがあると思うんです。

きっとそこに大した意味はないでしょう。

でも、それって親としては結構嬉しいことです。

 

 

あんまりイラスト進んでないです。

しまった! 山の側の家は通勤時間が長すぎて平日に絵が進まない弱点が!?



東京観光

先々週ですが、関東に出張に言ってきたついでに東京の東側観光してきました。

 

将門の首塚。綺麗になってから行ったことなかったので寄ってみました。並んでお参りしてましたが、祟りのイメージしかないので写真だけ撮ってスルー。

 

皇居。東御苑を、入りました週末解放していたので、庭園見学できてよかったです。実は始めて入りました。

 

所用で上野方面へ。

ついでに、恐れ入谷の鬼子母神。

 

ぷらぷらしながら浅草へ。

遅めの昼ごはんでも、と思ったのですが、すっかり観光料金になっていたので見送りました。

見た目は、あんまり変わってないと思ったのですが、時代の流れを感じます。

 

何となく歩いて、スカイツリー。

すっかり暗くなってしまいました。

結局登ったことないですが、ひとりで並んで夜景見ても寂しいのでこの日も登らずじまいです。

幸福と虚無は同居する

楽しいことがいっぱいあると、バラ色でとても素晴らしい世界にいるような気がしてくる。

でも、ふと横を見るとそこにはどこまでも広がる暗闇が座っていて、こう言ってくる。

 

「楽しかったか? 満足したか?」

 

私はその問いには答えず、ただ前を見る。

今日も前を見ることができた。

いつの日か答えてしまうときがくるかもしれない。

だが、それはまだずっと先であって欲しいと願う。

時間に関する科学哲学

時間というのは、本当に一次元なのでしょうか?

私たちが過去を思い出す時、そこにあったはずの事が一部記憶から欠落しています。

 

普通に考えると、不確定な要因を持つ無限の過去の候補があるはずなのに、私たちは過去がひとつであったかのように認識してしまいます。

同時に未来も当然無限の可能性が考えられます。

(運命論者は決まってると言うかもしれないですが、認識を素直に表現するとそうなります)

 

理論は演繹的に考えられますが、同時に帰納的に成立するか検証されます。

上記をもとによくよく考えてみると、帰納的に検証すると実は過去も未来もひとつの軸じゃないように感じます。

時間に対する一般的な検証では、なぜか前提が実際の経験と異なり一次元に固定されています。(対象と観測者の話ではないです、時間という概念の話です)

 

格好いいことを言いましたが、このことは既にアンリ・ベルクソンが話してます。

私も時間を次元のイメージで捉えるのには反対です。

ベルクソンの言う「計測できる時間」もやはり時間を捉えてはないでしょう。

時間を計測することは絵を描く行為と同じで、時間というものを一次元の表現に当てはめているだけで本質的に計測はできていないと思っています。

 

 

…なーんてことを、空間を二次元に圧縮したモノをこねくり回しながら考えてたりします。
スローペースで線画中。