雨月物語を読もう
『雨月物語』。名前くらいは聞いたことあるかもしれませんが、読んだことのある人はそんなに多くないんじゃないでしょうか?
この作品、高校の古典授業で習うことはありません。何故かというと怪奇文学だからです。日本最古の怪奇文学。
何故か世間はホラーとエロスを教育の場から遠ざけます。娯楽色の強いスプラッターや、エロ小説はともかくとして、文学であれば多いに教育に取り入れるべきです。
話を戻します。『雨月物語』が古典として高く評価されているのは、これが単なる表面的な怪奇小説ではなく、当時の世相や、歴史、過去の文学へのオマージュを巧みに作中へ散りばめている点にあります。本当の意味で雨月物語を理解するには、日本史、文学史、古語(隠語や言葉の由来等)の知識が必要です。
たとえば、巻の一「白峰」の出だし
あふ坂の関守のゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみじ)見過ごしがたく、
浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮嶋がはら、
清見が関、大磯小いその浦々、むらさき艶ふ武蔵野の原塩竈の和たる朝げしき、
象潟のあまが苫や、佐野の舟梁、木曾の桟橋。
心のとどまらぬかたぞなきに、猶西の国の歌枕見まほしとて、
仁安三年の秋は、あしがちる難波を経て、須磨明石の浦ふく風を身にしめつも、
行行(ゆくゆく)讃岐の真尾坂の林といふにしばらくつえを植(とど)む。
草枕はるけき旅路の労(いたわり)にもあらで、観念修行の便(たより)せし庵なりけり。
この里ちかき白峰といふ所にこそ~
[意訳]
逢坂の関に通行許可を貰って東の名所を色々見たけどどこもすばらしかったなぁ。
「よし、次は西だ」ということで讃岐まで来たところ、仏道の修行用の庵があったので
ここに少し滞在することにしよう。
この辺りの白峰というところは~
東の名所を色鮮やかに表現したすばらしい出だしですが、実はこれは単なる名所の説明ではありません。『撰集抄』からの典拠になります。
『撰集抄』というところがミソで、この時点で主人公について読者はある程度連想できるようになっています。
・『撰集抄』は西行により仮託されている
・この後白峰の崇徳院の御陵へ訪れる、西行は崇徳院と親交が深い
・西へ行く人
⇒西行法師が主人公だ!
こんな感じです。この後も巧みな言葉遊びと秀逸な表現が続きます。
学校で習った古典の世界からさらに一歩踏み込んでみたい方、是非読んでみて下さい。
強制される勉強ではなく、自分で好きな作品を読み解いていくのはなかなか面白いものです。
私は、例のごとく大学時代に文系の講義に忍び込んで教えて貰いました。(工学部在籍でしたが文系の講義が大好きでした)
もっと色々受けておけばよかったなぁ…。